チキチキ!火種だらけの映画評

映画のネタバレ記事が多いと思います。私の映画の趣味をやさしい人は“濃い”といいます。

「スカイフォール」が007をヒーロー映画にした問題作だということを声に大にして説明したい。

スカイフォール」素晴らしかったです。


「007 スカイフォール」新予告

 

個人的に滅茶苦茶楽しくて、鳥肌が立ちまくりでした。
今年、個人的に思いいれが強い「ふがいない僕は空を見る」と「高地戦」がなければベスト1にしたい映画でした。

計2回観ました。1回目は何の情報もなく鑑賞。

2回目はサイタマのラッパーシリーズの音楽を担当されている”岩崎 太整さん”のブログで「音楽の演出がヤバイ」というということと、映画評論家の”町山智浩さん”が「ゴールドフィンガーは観とけ!」と言っていたので、ゴールドフィンガーを鑑賞してから観にいきました。
あまりにも有名すぎる007ゴールドフィンガーOPはこちら
 
 
今回のオープニングはこのゴールドフィンガーに匹敵するほどの作品だったと思います。
 

<1.オープニングがヤバかった。>

プレタイトルシークエンスからオープニングまでの13分が本当に”神”がかっていていました。

2回目は音楽の演出に注意して観ていたのですが、プレタイトルシークエンスの音の演出は凄まじいものがありましたよ。

ボンドの登場とともに<聞き覚えのある音楽が一鳴り>その後に続く<小刻みに鳴る音楽。>死体を発見すると<音楽がそこに一つ乗っかる>

重症の味方を発見し、、見捨てるところで<響く、重低音はボンドのやるせなさを演出>している。→ここでもMの非情さが演出。にくい演出。

ボンドのアクションカットと、Mが指示を出すカットでは、<音楽の大きさが違う>。それにより際立つ現場の臨場感。そして、緊張が最高潮に達した時に<途切れる音楽>。
徐々に聞こえてくる音。それはOPだった。
 

という音楽演出の流れは本当に神ががかっていて(大切なことだから2回言いました)、正直OPに入る瞬間にションベン漏らしそうになりました。

そしてそのOPは本当に素晴らしくて、ジェームズ・ボンドが今まで背負ってきた”罪”&組織(M)の非情に(自分が仕事と達成できなかったこと)対する”どうしようか感”が水のそこに沈んでいくジェームズ・ボンドから感じ取れて、素晴らしかった(*´ο`*)=3
 
そしてその後の地獄巡りを坦々とこなすジェームズ・ボンドは、まさに今までの007そのものであり、アレだけ酷い目に遭いながらも、感情的にならず007として任務をこなすジェームズ・ボンドのキャラクターを示すとともに、ジェームズ・ボンドの苦悩を暗示する素晴らしいOPでした。

さらに、ここまでの13分だけで、Mとジェームズ・ボンド(スパイ)たちがどのような関係なのかということをスマートに示していて、ストーリーテリングとしても素晴らしいと思いましたね。

<2.ジェームズ・ボンドの光と影>

そして、今回の007は今までの映画では掘り下げなかったところを掘り下げています。
 
ジェムーズ・ボンドとMの関係です。

「ビジネスライクだけれども、お互いに尊敬している」そんな関係がボンドとMの間にあるわけですけれども、その関係はかなり危ういバランスで成り立っています。

ジェームズ・ボンドは「Mの無茶振りな任務」を現場の判断で坦々とこなすわけです。

”こなして当たり前”という前提はジェームズ・ボンドという超人でも凄まじいプレッシャーなわけで、今や精神が壊れるギリギリで007という役割をこなしている可能性もあるわけです。
もしかしたら、この先ジェームズ・ボンドは壊れて、それまで溜め込んできた「俺はMのためにここまでやってきたんだぞ」という思いが爆発するかもしれません。

その未来の”壊れた”ジェームズ・ボンドとして、ハビエル・バルデムが演じるティアゴ・ロドリゲスとして登場するわけです。そして対峙するジェームズ・ボンドにもその予兆がある(精神的にギリギリで酒に頼っている)。

今回の「スカイフォール」はジェームズ・ボンドが007という様式美を演じることへのホツレを描いています。

ジェームズ・ボンドは必死になって007という様式美を演じ続けます。

そしてその先を行くティアゴ・ロドリゲスもまたシルヴァという存在をセルフプロデュース(入場音楽などで)し続けます。それが目的となり、それによって完璧なスパイとしては崩壊してしまった自分を取り繕っているのです。母親としてのMという存在に対する異常に執着は、完璧なスパイだった過去の自分への執着によるものだと思います(007にお前より優秀だったって言ってるし)。
 
それほど、彼はスパイであったころの自分に執着しています。
シルヴァのジェームズ・ボンドに対するホモセクシャル的な態度、歪んだ愛情、異様なまでの対抗心は、シルヴァの自己の過去への執着に行き着くと思うんですね。
 
007の闇としてシルヴァを配置する映画の構成は、スパイ映画ではなく、正義と悪が存在するヒーロー映画的だと思うんですね。そもそも、007が世界一有名なスパイという矛盾を含んでいるんだから、開き直って”再定義”したことは「よくやった」と言わざる得ない。
 
僕は007シリーズなどのヒーロー映画(007というシリーズをヒーローという定義するのはどうかという話は置いといて)の面白いか、面白くないかを決めるのは敵の存在だと思っています。
 
敵って設定するの難しいじゃないですか。ましてや、敵を22作も作り続けた007シリーズですよ。息も切れ切れでしょう!
 
007というシリーズが、ついにジョーカーを切った存在、それがシルヴァです。
 
ジェームズ・ボンドが席を置く、M16という組織が敵対する存在が、過去にM16に席をおいていたシルヴァなのです。それを敵にすることで新しい007シリーズを成立させている。
 
まさにマッチポンプ

Mが必死になって必要性を説くM16や、ジェームズ・ボンドが必死になって演じている007が、前時代的で必要ない理不尽と同じように、007というシリーズ22作も続いた結果、「惰性として続いているのではないの?」と揺らいでいるのです。
 
そして、ティアゴ・ロドリゲスはシルヴァがMへの執着からテロを起こしたことで、M16の存在意義を示し、結果として007たちの家を守っているのも、良く考えると皮肉なものです。マッチポンプですよ。
 
そしてジェームズ・ボンドの闇として、ティアゴ・ロドリゲスを描く。007の裏としてのシルヴァという構造。007をヒーローとしておく裏技とも取れる荒業で「スカイフォール」を描ききったのです。
 よく考えると、こじんまりとした話ですよ。007らしくない。
 
でも、「007とは何だ?」ということを、これほど追求した話は007シリーズにありますか?無いでしょう。007映画としては荒業、裏技とも言えるかもしれない。
 
でも、これは1つの映画作りとして王道です。最高にめちゃくちゃ面白い。
 
007を惰性ではない、ひとつの素晴らしい映画として、構築しなおしたこの映画を私は全力で評価したい。そう思った感動を皆さんも体験してください!
 
お勧めです。