チキチキ!火種だらけの映画評

映画のネタバレ記事が多いと思います。私の映画の趣味をやさしい人は“濃い”といいます。

死ぬまでに観るべきと噂の「サウダーヂ」観て来ましたという報告。

 

「サウダーヂ」を観ました。映画の内面だけで描かれる物語で完結するのではなく、「国の政策が失敗したから、この人達は不幸なんだな(考え方の一例)」と、観る人が映画の外で考え補完する作りになっています。

 

この映画を作った富田克也監督の出身地でもある山梨県甲府市。商店街はシャッター通りとなり、誰も住まなくなった住宅街には在日外国人が住む。

そんなどこにでもある地方都市。そこに住む派遣労働者、日系ブラジル人、アジアからの移民が描かれています。

登場人物のほとんどは“炭鉱のカナリア”のように不景気によって真っ先に仕事を失うような人々です。一方で(胡散臭い)ビジネスに成功した(胡散臭い)人もいる。

 


映画『サウダーヂ』 予告編 

 

この映画は、地方都市甲府に暮らす人々を「わーきつい、痛い痛い」と思わせるくらいなコメディで、「こんな人、知り合いいるいる」という実在感を伴いながら描きながら、一歩引いて全体を観ると、日本という社会が孕んでいる問題を顕著化させる作りになっています。

 

『地方都市の日常を長時間観せられる映画でつまらない。映画って娯楽じゃなかったっけ?』

 

と、至極全うなご意見をこの映画に対してもつ方がいらっしゃいます。

 

娯楽映画とは何か?僕にとっての最高の娯楽映画は「ロッキー」です。ロッキーが何故、万人が面白いと思うのかというと、ロッキーが『アメリカで恵まれない生活を送っていた若者がたった一つのチャンスを掴んで、そこに自分の全ての努力と根性をかけて、栄光というものを手づかみにしていく』物語だからです。(前回のロッキー評参照)→http://alex7mikiya.hatenablog.com/entry/2012/12/07/094321

 

 

でも、現実ってどうでしょう。

 

たった一つのチャンスってありますか?世界チャンプが対戦相手を“たまたま”自分にするということは現実におこりますか?

 

今を生きる我々は「もしかしたら、その“たまたま”がおこるかも…」とその“たまたま”に期待し、糧として生きていやしませんか?

 

その“たまたま”がおこった先の世界、「ここではない何処か」が自分の生きるべき本当の場所だと思っちゃいませんか?

 

そう、この『サウダーヂ』という映画は「ここではない何処かへの憧れ=サウダーヂ」を抱えた人々の話、我々にもおこり得る共感できる話なのです。

ロッキーの“サウダーヂ”は“たまたま”現実のものとなり、ロッキーを幸せに導きましたが、この映画に登場する地方都市の“炭鉱のカナリア”たちの“サウダーヂ”にすがる姿は(笑)を伴うのです。

 

それが面白いのだけど、その一方でとても切ない。

 

『ロッキー』は成功物語として娯楽映画として描いているけど、登場する人間の苦悩は『ロッキー』も『サウダーヂ』も現実の我々も皆、同じ。ただ、それが報われないか、報われるかが違うだけ。

 

映画内でその人が報われなければいけないなんて誰が決めたの?現実が報われるかわからないなら、報われない映画があってもいいじゃないか。それがリアルでしょーよ。

 

『ロッキー』のような娯楽映画しか観たことのない人はこの映画をつまらないと言うでしょう。ロッキーは確かに面白い。

でも、それだけが映画じゃないんだ。娯楽じゃないんだと気づけば、世界はもっと広がると思います。

 

そして、この『サウダーヂ』という映画によって顕著化される問題もそうです。

 

90年代に、商店街などを守るために大型店舗を規制する「大店法」という法律が改正されました。これによりドーナツ化現象が起こり、シャッター商店街などという言葉が聞かれるようになりました。

 

ときを同じくして、若者の高学歴化が進み、「きつい、臭い、汚い(3K)」の仕事を嫌がるようになりました。その仕事を出稼ぎに来た外国人労働者が担っています。

90年代に制定された外国人研修制度、技能習得制度などを(国が用意したかもしれない)法の抜け穴によって、たくさんの外国人労働者が日本で暮らすようになりました。

 

この映画では甲府という地方都市が描かれているので、この政策による問題点が描かれているように思えます。

 

しかし、当時はそれが、正しいと思う人々がいたから、この法案は通ったんです。アメリカに押し付けられたとしても、メリットがあると思うから、通したのでしょう。実際にこの政策で利益を得た人はいるでしょう。

 

そして、この映画に登場する人物、「地方に住む人たち」も『善人』として描かれません。マリファナをやっている人もいるし、人を殺すやつもいる。被害者である一方で、加害者でもある。このようにこの映画は、彼らをただの被害者として記号化していません。

 

この映画は現実と同じように、どうやら、「良い悪い」の二元論では語れないみたいです。

 

この映画に描かれるのは“変化”です。ロッキーのように劇的に変化はしません。ロッキーのように変化の結果、報われません。もしかしたらいつかは“たまたま”報われるかもしれません。“変化”が良いものか悪いものかは立場によって違うし、状況によっても変わるものだからです。そしてこれからも“変化”は続きます。

 

今、僕達にできるのは、自分達の周りで何が起こっているのかを知ることです。何が“変化”してそれによってどのようなことが起こっているのかを知っておくべきなのです。

 

僕はこの映画で、ブラジルや、アジア諸国からこんなにも多くの人が移り住んでいることを初めて実感しました。商店街のシャッター通りに彼らが住むようになった現実も初めて実感しました。言葉で知っている現実とは全く違います。

 

 

この映画はそれを言葉ではなく体験させてくれます。まるで山梨県甲府市に昔から住んでいたかのように。この映画を観て、自分の知っている世界を一つ広げてください。

 

DVD化されることのない“この映画がなかなか観ることが出来ないレア度の高い映画”という嫌がらせを込めて。この映画をお勧めします。