チキチキ!火種だらけの映画評

映画のネタバレ記事が多いと思います。私の映画の趣味をやさしい人は“濃い”といいます。

『アベンジャーズ/エンドゲーム』は男の体裁が敗北する物語である(後編)

 

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』で描かれたソーとサノスは、「運命の意志」「おのれの意志」の違いはあれど、どちらも独りよがりな物語を紡いだという点では、同じ欠陥を抱えている。

 

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前編はそんな感じのことを言って締めた。

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アスガルドの民を守れなかったソー、惑星タイタンで小さな犠牲を払ってでも星の滅亡を防げなかったサノス。二人の物語の根底には過去に犠牲になった人々の死がある。

 

ロケット「弟が死んだって? やりきれねえよな」

ソー「前にも死んでる。ただ今回は本当らしい。」

ロケット「姉さんと親父さんも?」

ソー「死んだ」

ロケット「母親はいるだろ?」

ソー「殺された」

ロケット「親友は」

ソー「心臓をグサリ」

ロケット「今回の任務は殺しだぞ。平気か?」

ソー「もちろん。怒り。復讐心。喪失感。後悔。全てが俺を突き動かしている。やってやるさ」

ロケット「けど相手はサノスだぞ。あいつは最強の敵だ」

ソー「俺の敵じゃない」

ロケット「負けたろ?」

ソー「次は勝つ。新しいハンマーで」

ロケット「ハンマー頼みってか」

 

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』のソーとロケットの会話。ロケットの「ハンマー頼みってか」という指摘に対してソーは不安を押し殺すように強がって「自らが運命の意志に選ばれた存在」であることを語る。

ソーは、死んだ人たちへの喪失感を埋めるために、「王の武器」ストームブレイカーでサノスを打ち倒す復讐の物語に縋る。その悲壮の物語は、ガモーラを犠牲にしてでも野望(自らの物語)を遂行したサノスの物語と同じものである。

ソーは、喪失感を怒りに変え、その矛先をサノスに向けた。結果は前編に書いた通り、サノスに力で上回ること(自らが運命の意志に選ばれた存在と示すこと)にこだわるあまり、サノスの野望を止めることは叶わなかった。

 

彼らふたりに共通するのは、おのれの喪失感に直接向き合うことなく、喪失感を行動の原動力に変えてしまっていることだ。

 

「大切な人が死んだ」という事実は、本来はどう足掻いても解決することはできないことだ。

「自分が行動しなかったことが原因で大切な人を死に導いた。後悔の念に囚われてしまって今までと同じように生活が送れない」

「誰か自分ではない別の人物の行動が、大切な人を死に導いた。憎しみの感情囚われてしまって今までと同じように生活が送れない」

 

サノスとソーは『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』において、これらの問題を抱え、その解決のために

「二度と後悔しないように行動し続ける」

「憎しみの感情のままに報復行動に出る」

といった行動に出る。

 

惑星タイタンで「おのれの意志」を貫けなかった過去に縛られて、宇宙の生命の半分を消滅させるおのれの物語を貫いたサノス。喪失感を怒りに変換することを推奨する「運命の意志」に導かれるまま独りよがりな報復行動に出たソー。彼らは二人とも、問題を解決しようと躍起になって、過去の喪失感がもたらす後悔の中に、現在や未来の行動を閉じ込めてしまっているように思える。

 

処刑人ソー、切り落とされたサノスの首

アベンジャーズ/エンドゲーム』は衝撃の展開から始まる。ソーが「王の武器」ストームブレイカーでサノスの首を切り落としてしまうのである。あのシーンを観た瞬間に、何か一線を越えてしまった取り返しのつかないものを感じざるえない。

あのシーンにおけるソーは、さながら斧で罪人の首を切り落とす処刑人。ソーは王の権威を守るため、罪人サノスの首を切り落とす。

前編でも指摘した通り、「運命の意志」が要請している物語は、王(男性)の歴史が紡いできた「体裁」の物語だ。ソーはサノスの首を切り落とすことで「運命の意志」が用意した台本の主人公として、なんとか落とし前をつけることができたが、現代のヒーローの行動からは決定的に逸脱してしまう。

 

無視された喪失感

サノスとソーの問題解決の姿勢は、結局のところ「大切な人が死んだ」ことによる喪失感に直接向き合っているわけではない。ただただマッチョな独りよがりな強がりと憎悪の感情を連鎖させてしまっただけだ。

アベンジャーズ/エンドゲーム』では、このサノスとソーの問題解決の姿勢を踏まえた上で、「大切な人が死んだ」ことによる喪失感に直接向き合う問題“解消”の姿勢を描いている。

この問題“解消”の鍵を握るのが、タイム泥棒作戦であるということをこれから述べていこう。

 

アベンジャーズ/エンドゲーム』はどんな話なのか

アベンジャーズ/エンドゲーム』は、ヒーローたちがタイムマシンを使って過去に戻って、現在では破壊されてしまったインフィニティ・ストーンを集め、サノスによって奪われた生命を取り戻す話である。

物語の鍵を握るタイムマシンはトニー・スターク(アイアンマン)が開発。アントマンの「ビム粒子」を用いて量子レベルに小さくなり、過去から未来へ時間が一定に流れない(とされる)量子世界に発生させた過去へのワームホールを潜るというものである。ただ本論で筆者はこのタイムマシンが理論上可能かどうかとか、そういうあれこれに立ち入る気はない。

本論で注目したいのは、タイムマシンが、トニー・スターク(アイアンマン)の開発したものであることと、奈落へ抜ける構造になったタイムマシンの、土俵状の装置の上に、ヒーローたちが円状に陣を組んで、それぞれの顔を見合しながら過去へ向かうことである。

 

円状に陣を組んで、それぞれの顔を見合しながら過去へと向かう行為と聞いて、わたしは『アベンジャーズ/エンドゲーム』のあるシーンを連想した。

ティーブ(キャプテン・アメリカ)、そして市井の人々が車座になって監督のジョー・ルッソ演じる人物の語りに耳を傾けるグループセラピーのシークエンスである。

彼らがやっているグループセラピーは「グリーフケア」と呼ばれる取り組みで、大切な人の死など、受け入れがたい出来事を経験したもの同士で車座を組み、ひとりひとりの喪失の物語を語り合い、過去のトラウマに向き合う試みである。

筆者の主張はこうだ。

アベンジャーズ/エンドゲーム』における過去へのタイムトラベルは、このグループセラピー、過去の記憶に対する解釈をやり直す「グリーフケア」の過程そのものである。


喪失感に向き合う手段「グリーフケア

グリーフケア」は、問題の解決を目指さない。車座になってコミュニケーションを取り、語り手が囚われている雁字搦めの物語を時間をかけて解していく。何度も過去を語り直すことで、語り手を縛る物語に回収されないイレギュラーな語りを見いだす。そして物語の聞き手の協力により、物語の語り手は、自分を縛る物語に対する新たな解釈を得る。この語り手と聞き手のコミュニケーションを通じて、語り手が独りよがりな物語から“解消”されることを目指す。

 

実はこの「グリーフケア」は、ルッソ兄弟の他の映画にも登場する。『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』では、サム(ファルコン)が退役軍人たちのセラピストとして登場。

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』では冒頭、トニー・スターク(アイアンマン)が、海馬をハイジャックし、過去のトラウマ、殺された両親との最後の会話を引っ張り出し、バーチャル・リアリティを用いて過去をやり直しトラウマを癒す“B.A.R.F.(ゲロ)システム”の実演プレゼンをしている。

 

ルッソ兄弟は、MTVのポッドキャスト“Happy Sad Confused”で『アベンジャーズ/エンドゲーム』公開前にこんなコメントを残している。

「『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)には、ある技術についての5分間のシークエンスがあります。具体的な理由があって用意したんですよ。ですから、あの作品を見直してもらえれば、きっと(ストーリーの)方向性のヒントが得られると思います。」

https://theriver.jp/iw-time-travel-theory/(THE RIVERより引用)

 

 

ここで語られるある技術とは、前述のトニースタークが“B.A.R.F.(ゲロ)システム”のことだ。このルッソ兄弟のコメントも、「グリーフケア」が『アベンジャーズ/エンドゲーム』のストーリー、つまりタイムトラベルに大きく関係していることの裏付けとなる。

 

タイムトラベル=グループセラピー

アベンジャーズ/エンドゲーム』におけるタイムトラベルは「グリーフケア」。ヒーローたち同士のグループセラピーである。

タイムトラベルへ至る過程もヒーロー同士が話し合って皆が納得できる物語を構築する過程であった。タイムマシンはトニー・スタークの発明であるが、そのキッカケはスコット・ラング(アントマン)の発案で、トニー・スタークがタイム泥棒作戦に参加する動機として一番大きいのはピーター・パーカー(スパイダーマン)の消失だろう。チームが過去へと至る道をスティーブ(キャプテン・アメリカ)がまるでグループセラピーの司会者のように取り結んでいく。

また、タイムトラベルで何をするのかを考える件もそうだ。サノスが悪事に働く前に殺すなど納得できあに結論は話し合いの中で否定され、チームとして、それぞれの時代からインフィニティ・ストーンを手に入れるやり方が選ばれる。

 

癒されるヒーローたち

アベンジャーズ/エンドゲーム』に登場するタイムマシンは、過去を変えることで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように現在が大きく変わってしまうことはない。

しかし過去へのタイムトラベルしたヒーローたちに大きな影響と変化を与える。

トニー・スタークはうまく関係を結べないまま父親ハワード・スタークを失ってしまった。だから父親は自分のことなど意にも介していなかったという青年の頃の感覚を更新できずにいた。しかし今回のタイムトラベルで、現在の(父親になった)自分の目線で、改めてハワード・スタークと接することによって、父親との関係性に対する認識を改めることができた。

「皆、いなくなってしまった」。ひとり取り残された喪失感に苦しんでいたスティーブ・ロジャースは、キャプテン・アメリカがいなくなった過去で、自分を失ったエージェント・カーターもまた、スティーブ自身と同じ喪失感を持っていると気づく。

ティーブがどんなキツい仕事場(激戦地)でも肌身離さずエージェント・カーターの写真を持っていたのと同じように、エージェント・カーターも仕事場(デスク)の上にスティーブの写真を飾っていたのだ。

 

そしてこの話は、トニー・スタークが消失したピーター・パーカーの写真を大切に持っていることにも響き合っている。

 

トニーがモーガン・スターク(娘)の存在を危険にさらし、自らの命を投げ出す覚悟で、ピーター・パーカーの存在を取り戻すタイム泥棒作戦に参加した動機と、第二次世界大戦アメリカ国家のために自分の命を投げだし、ヒーローとして世界を救ってきたスティーブが、エージェント・カーターと歩む一個人としての人生を選び直した動機は、方向性は真逆だが通じるものがある。というよりむしろ真逆な二人、トニーとスティーブが出会い、時にはいがみ合いながらもお互いに影響を与え合ったゆえ、それぞれが、ヒーローとして、一個人として、どのように人生を終えるかを選択ができたと考えるのが妥当だろう。

 

王、または処刑人であることに耐えられなかったソー

そして忘れてはならないのは「運命の意志」を信じられなくなって、すっかり自信喪失し、変わり果てた姿で引きこもっていたソー。そんなソーが動き出すきっかけを作ったのは『アベンジャーズ/インフィニティウォー』で彼と行動をともにしていたロケットと『マイティ・ソー バトルロイヤル』でソーに救われたハルクだった。

ソーはこのとき「運命の意志」に導かれるのではなく仲間たちに必要とされることで、行動を開始する。こうしてソーも、ヒーローたち同士のグループセラピー、もといタイム泥棒作戦に参加する。

 

そしてソーは過去にて。死んでしまったアズガルドの王妃、母親フリッガと対面し「あるべき姿ではなく、ありのままの姿」を受け入れるようにアドバイスを受ける。

ここで言う「あるべき姿」は、父親オーディンや「運命の意志」が求めた物語の主人公の役割である。ソーはこの言葉を受け、今まで言えなかったことを吐露する。

「ありのままの姿」のソーが母フリッガに吐露したのは「サノスの首を切り落としたことの無意味さ」である。死んでしまった母フリッガとの会話の中で、ソーは、「あるべき姿」の「物語」の主人公を演じたことを悔いる自分自身を再発見するのだった。

 

ソーは「あるべき姿」ではなく、「ありのままの姿」で、もう一度武器を手にする。手にするのは「王の武器」ストームブレイカーではない。

高潔な魂の持ち主にしか扱うことができず、それに値しないものは持ち上げることも動かすこともできない。そんな持ち主を選ぶ意志を持つ鎚ムジョルニア。

 

使い手を選ぶムジョルニアに認められたことで、ソーは「おれはまだやれる」と確信する。このときの武器がストームブレイカーでなくムジョルニアであることは大きな意味を持つ。つまりこのときソーは「運命の意志」が用意した「あるべき姿」アベンジャーズ最強の(ストームブレイカーを持つ)自分ではなく、必要としてくれる仲間たち(ムジョルニアを含む)との関係性の中の「ありのままの姿」を肯定したのである。

 

サノスの首の行方

ソーは「サノスの首を切り落としたことの無意味さ」を悟った。しかし、いくら悟ろうとも、ソーは実際にサノスの首を切り落としているのである。覆水盆に返らず。この事実は変えることはできない。そしてさらに言えば斬首の瞬間は、ばっちり映像として記録されている。

 

タイム泥棒作戦に参加したサノスの娘ネビュラ。彼女はサノスによって改造されたサイボーグだ。彼女が見た映像、音声はすべて記録されている。

ソーがサノスの首を切り落とす瞬間、ネビュラはヒーローたちの一員として現場にいた。だからその一部始終は記録されている。

 

タイム泥棒作戦に参加し、過去へ行ったネビュラの記録は、タイムトラベル先、サノスの元にいた過去のネビュラと同期してしまう。完全に予想外の事態。タイム泥棒の計画がサノスに露見してしまうのである。こうして「ソーがサノスの首を切り落とした」記録は、過去のサノスに届いてしまう。

 

 

サノスは、未来の自分の首が切り落とされる姿を目撃する。彼は表向きは「おのれの意志」が貫かれたことを喜ぶ。しかしどこか釈然としないものがあったはずだ。なぜなら、このときサノスとソーの間で、時空を超えた意図しないコミュニケーションが成立しているのだから。サノスは、「王の武器」ストームブレイカーで「切り落とされたおのれの首」を見て、ソーを含めたアベンジャーズたちに、面子を潰されたと感じたに違いない。

 

このときサノスは無意識に『アベンジャーズ/インフィニティウォー』のソーと同じ過ちの道を走り出す。そう「運命の意志」、体裁の物語に自らを委ねてしまうのだ。

 

「運命の意志」の敗北

アベンジャーズ/エンドゲーム』の最終決戦、『アベンジャーズ/インフィニティウォー』で自らの胸に「王の武器」ストームブレイカーを突きつけたソーに対しての意趣返しのように、サノスはソーの胸に「王の武器」ストームブレイカーを突きつける。まさに、このサノスこそ「運命の意志に選ばれた存在」だと示さんばかりに。

しかし相対するソーはもう「運命の意志に選ばれた存在」に拘っていない。アイアンマンと協力して技を繰り出したり、ムジョルニアをキャップに貸したりする。その後も、よく観るとソーは、サノスにインフィニティ・ガントレッドを使わせない戦い方をしている。もうそこには力を誇示する戦い方は存在しない。

アベンジャーズ/インフィニティウォー』『アベンジャーズ/エンドゲーム』この二つの映画の最終決戦におけるサノスとソーの立ち位置は完全に逆転する。

そして、敗北を喫するのは、どちらも「運命の意志に選ばれた存在」にこだわった方、男の歴史が紡いできた「体裁」の物語に縋った存在なのである。