チキチキ!火種だらけの映画評

映画のネタバレ記事が多いと思います。私の映画の趣味をやさしい人は“濃い”といいます。

「マダム・イン・ニューヨーク」はデストピア映画である

「マダム・イン・ニューヨーク」というインド映画を観ました。

ローマの休日」フォーマットで話を展開させ、「忠臣蔵」カタルシスを与えていることで物語の面白さを保証しているのは上手いなと思いました(言っていることが意味不明だとツッコミを入れた人、あなたは正しい)。

 


映画『マダム・イン・ニューヨーク』予告編 - YouTube



物語の根底には世界各国の言語が英語化されていくことによって英語喋れる=優秀という価値観が勝手に形成されていく世の中への危惧が描かれており、その点が非常に興味深かったです。 

僕はこの「マダム・イン・ニューヨーク」はアメリカ都合の効率のために均一化(英語化)することへの危惧を描いたデストピア映画だと思うのです。


ここで描かれているのはインド社会ですが、日本でも全く同じ事です。今企業が求めている人材は「ぐーろーばるにかつやくできるじんざい(=英語が喋れる人材)」です。

政府はそれを教育に反映させるなど後押ししています。政府は企業の言いなりで、どんどん日本国株式会社化しているのです。今の日本が目指す未来はシンガポールという人もいますが、あそこ独裁政権やで。 

日本国株式会社になることでどのような弊害がでるのか。
英語を操る優秀な人材=今の国の中心にいる人たちがどんどん海外に出て行ってしまうというリスクが生じることだと思います。
沈みゆくタイタニック号で、指揮を執る船長をはじめとする従業員が真っ先に逃げれる状態というのが今の日本なのです。最終的に、沈みゆく日本には英語を操れない人間が残ります。

ブラック企業などが国によって是正されない今の雇用の方向性から考えると、政府や大企業の経営陣は一時期前の中国人のように低賃金で雇用することを是としている可能性があります。人件費の低い国を探し続けなくても、日本で低賃金で雇用できるのであれば、企業側にとってはよい事尽くめだからです。

なぜ若者は低賃金で雇われることを受け入れるのでしょうか。それは自信がないからです。就職活動で何社も何社も受けさせられ、自分は「ぐろーばるにかつやくできるじんざい」じゃないから駄目なんだと自信を奪うのです。それは今まさしく行われています。

というのはあくまで僕の(いろんな偉い人の言説や自分の経験を踏まえた)妄想なのですが…

「英語を喋れない」とバカにされるという「マダム・イン・ニューヨーク」で描かれる葛藤はインド社会ではシャレに鳴らない問題なのだと思います。
同じインド映画である「きっとうまくいく」で描かれた学歴主義からも安易に想像できます。
「マダム・イン・ニューヨーク」、社会風刺の効いた素晴らしい映画だと思います、オススメです。