チキチキ!火種だらけの映画評

映画のネタバレ記事が多いと思います。私の映画の趣味をやさしい人は“濃い”といいます。

【どうしてこうなった】『メン・イン・ブラック』が面白かったのに、『メン・イン・ブラック2』がとてもツマラナイ理由を考えてみた【前編】

メン・イン・ブラック』を観たとき、こんな面白い映画を俺は観ていなかったのか!

人生損した!

先に見てれば、缶コーヒーのBOSSのCMをもっと感慨深く観れてたのに!

人生ホント損した!

 

と血迷った気持ちになったのに、『メン・イン・ブラック2』を観た時に、

 

「何かよくわからんが正直面白くないよねヽ(´Д`;)ノ何かいろいろと台無しだよね。

 

と、エイリアン3を観た時以来のガッカリ気分になったので、

何が原因か頑張って考えてみたんですよ。

 

(前作のキャラクターを皆殺しにしやがって、前作のラストでいい気分になったオイラの純情を返せ!ということで全てが説明できる気がするけど、今日、したいのはそんな話じゃない。)

 

だから、「どうして、こうなった」のかを頑張って説明するレビューを書きます。

 

今回は【前編】ということで、『メン・イン・ブラック』の面白さの構造について説明させていただきます。

(とりあえず、メン・イン・ブラックの予告編の映像を流しちゃったりして。

トミー・リー・ジョーンズが若い。)

 

 


Men In Black - Trailer


メン・イン・ブラック』の面白さは、そもそも何なのか?

 

メン・イン・ブラック』の面白さは


(「トミー・リー・ジョーンズ力」×「バカバカしい都市伝説によって成り立つ世界観」)

+(「ウィル・スミス力」×「バカバカしい都市伝説によって成り立つ世界観」)

+「?」

=「メン・イン・ブラック」がなんか面白い。

という方程式で成り立っています(勝手な理論ですけど)。


トミー・リー・ジョーンズ力」とは何なのか?

 

 

トミー・リー・ジョーンズ力」は

「バカバカしい都市伝説によって成り立つ世界観」成立させるために重要なものです。


この映画の世界では、宇宙人が地球に住んでいます。

そしてそれを取り締まっている組織『メン・イン・ブラック』があります。

 

これが上に書 いた「バカバカしい都市伝説によって成り立つ世界観」というやつです。

 

そして、この映画はこんな荒唐無稽な大前提を観ている人に

納得させるというハードル を背負っているわけです。

 

このハードルを越えるために必要なものが「トミー・リー・ジョーンズ力」です。

 

「この組織は本当に存在するかもしれない」という 説得力を一手に担っているのが、トミー・リー・ジョーンズなのです。


メン・イン・ブラック』は荒唐無稽SFコメディです。

 

しかし、トミー・リー・ジョーンズはこの作風には似つかわしくない演劇派俳優です。

いわば この作品にとって彼は異物として存在しているのです。

 

「バカバカしい都市伝説によって成り立つ世界」という虚構が、

トミー・リー・ジョーンズという虚構 (コメディに存在し得ない異物)を含むことでリアリティを持つのです。

 

(ここの理屈は劇中劇と呼ばれる”入れ子構造”を含んだ映画が、

虚実にも関わらず、妙なリアリティを持っていることに通じるものを感じます。)


トミー・リー・ジョーンズ力」は

メン・イン・ブラック』の世界観を根底さら支えている力なのです。

「ウィル・スミス力」とは。


「バカバカしい都市伝説によって成り立つ世界観」にいい感じに面白いリアクションをとって受け入れる力、それが「ウィル・スミス力」です。


ウィル・スミス演じるJには、

常識とらわれない力があります。

彼は見たままを受け入れ、それに基づいて行動できるという特性があります。


Jが「メイ・イン・ブラック」の一員になる試験では、彼のそういう部分がKに評価されます。

 

『メイ・イン・ブラック』を観る我々も、評価される側になりたいと思い、

無意識のうちに「ウィル・スミス力」を持って作品を観るようになってしまいます。

まとめると


1.「トミー・リー・ジョーンズ力」によって「バカバカしい都市伝説によって成り立つ世界観」にリアリティを持たせる。


2.「ウィル・スミス力」によって「バカバカしい都市伝説によって成り立つ世界観」を観る人が受け入れる下地を作る。

この両面からのアプローチによって『メン・イン・ブラック』の面白さは構成されているのです。

 

「?」は何か?

 

「?」は、1本の映画として完結するという潔さです。

(たぶん、それ以外にもいろいろあるけど、今回はこれで勘弁。)

 

 

この映画のラストではその構造を壊し、

「未来の可能性への期待感」という新たな面白さを生み出しています。

 

綺麗に終わりかたです。

それにより、作品に「その後、アイツらは幸せになったのかな(*´艸`*)」と思う余韻ができます。

 

「これだけ、綺麗に終わってるんだから、続編なんか作るんじゃねぇよ!」

とお思いの方、その通りです。

 

(「ダーティーハリーとか、バッチ投げたよね…よね!(震え声)」

と、思う方は僕とお友達になれると思います。)

 

これだけ、綺麗に終わっちゃった場合、続編を作るときはもう一度、

 

(「トミー・リー・ジョーンズ力」×「バカバカしい都市伝説によって成り立つ世界観」)

+(「ウィル・スミス力」×「バカバカしい都市伝説によって成り立つ世界観」)

+「?」

=「メン・イン・ブラック」がなんか面白い。

 

を作りなおさなきゃいけません。

 

次回の記事は『メン・イン・ブラック2』が、どうやってこの「メン・イン・ブラック」がなんか面白い。

と思える構造を再構成したのかといういう部分を語っていこうと思います。

 

【後編】更新しました。↓

【どうしてこうなった】『メン・イン・ブラック』が面白かったのに、『メン・イン・ブラック2』がとてもツマラナイ理由を考えてみた【後編】