チキチキ!火種だらけの映画評

映画のネタバレ記事が多いと思います。私の映画の趣味をやさしい人は“濃い”といいます。

【全人類観るべし!】『ふがいない僕は空を見た』を観て、ふがいなかったあの頃を思い出した。【俺のベスト1だ。】

 

「ふがいない僕は空を見た」を観ました。2度観ました。1度目はショックが大きくて、自分の感情が先走りすぎてレビューが書けませんでした。

観終わった後、『大阪梅田のロフト、ジュンク堂、阪急メンズ館を1回から最上階まで往復し、阪急メンズ館のトイレで心が落ち着き、我に返る。』という自分でもよくわからないことになっていたものですから、無理もないと思います。

我ながら。

 


「ふがいない僕は空を見た」予告

 

何故、ここまで僕は動揺したのかといいますと、この映画の主人公の高校生、斉藤卓巳が経験したことは、俺が高校時代に経験したことと同じようなことだからです。

 

思いっきり、ネタバレしますが、卓巳君はタマタマ偶然であった人妻のあんずとコスプレセックスに勤しみます。

結果、旦那にバレ、あんずの旦那が仕込んだ隠し撮り&動画サイトへの投稿というダブルパンチ。

それにより、彼らのコスプレセックスは世間の目に曝されます。さらに何者かがばら撒くビラによって学校、親、近所の人々にも知れ渡ります。

そして、卓巳君は学校に行けなくなった( ´Д゚`)ンマッ!!

 

僕も高校時代に『俺の携帯のエロフォルダが火を噴いた』結果、「今まで積み上げてきたモノ(キャラクター)が音をたてて壊れた(クラスメイト談)」という経験があります。

だから、卓巳君の気持ちは痛いほどよく理解できるのです。

僕は「精神構造がおかしい(クラスメイト談)」らしいので、次の日すぐに学校にいきましたが、その後のクラスメイトの心無い言葉は辛かったです。

 

卓巳君も再び学校に行きます。心ない野次に卓巳君は笑顔で答えます。自分の恥ずべき性欲と、それに対する他人の蔑み・嘲笑を受け入れるのは大変です。

僕は経験したのでわかります。

僕は彼の笑顔の裏の闘いを知っています。

 

だから、

『弱点を曝け出した他人を貶めることで自分の地位を守ろうとする輩は、実は弱くて必死なだけ』

という真理を悟り、笑ってしまった卓巳君の成長が嬉しくて仕方がありませんでした。あ、彼は大丈夫だって。

 

『水は低きに流れ、人の心もまた、低きに流れる』攻殻機動隊S.A.C. 2nd GIGに登場する九世英雄(クゼヒデオ)のセリフです。水の流れと同じように人も怠惰に流されます。

自分の地位を守るために、自分のやり場のない気持ちを発散するために、

「弱いものを貶める」という最低な方向に流れていきます(Д )

 

喜々としてビラをばら撒いた犯人、福田君と、あくつさんも、その流れに抗えませんでした。福田君は卓巳君の(表向きは)親友です。

橋向こうの団地で、超貧乏でハードモードな人生を送っている彼らは、その生まれながらの理不尽を、やり場のない感情を、弱さを曝け出した卓巳君にぶつけるのです。

彼らはコスプレセックスの画像が載ったビラを撒きます。

 

このシーンは本当に輝いている。このシーンを朝日をバックに、映画の中で一番美しいシーンとして描くタナダユキ監督としての性格の悪さ手腕は素晴らしいと思います。そうだよね。あの時ばかりは、ハードモードな人生から解放されるもんな。

 

誰しもがやり場のない理不尽を抱え生きていますが、それを誰かにぶつけても何の解決にもなりません。

 

福田君には、そう教えてくれる人物がいました。

アルバイトの先輩、田岡さんです。

そして、彼自身もどうにもならない問題を抱えていて、その解決策を必死に探していました。

 

田岡さんの苦しみを知った福田君はそっと祈ります。

 

2回目は結構冷静に観ていたのですが、その祈りがそっとスクリーンに表示され、映画館が無音になった瞬間「この瞬間のために映画観ているよな」と思い、涙が出てきました(○´ω○)

 

このシーンを見ていたとき、福田君が僕に野次を飛ばしたクラスメイトの一人と完全に重なったのです。

詳しく彼のことは言えませんが、「アイツにも事情があったんだな。アイツも人の痛みも自分の痛みと同じように感じられるようになったんだろうな」と僕は思うことが出来きました( ´)ノ(映画と現実の区別が付かないことの好例)

 

まぁ、あんずさんの旦那とか、姑とか、自分の痛み、苦しみに精一杯で「自分が一番不幸(T_T;)」みたいな奴もいますよ。

旦那の無神経っぷりは万死に値すると未だに怒りが収まらないので、「あいつも苦しんでいるんだよ」という思考は今だ一切なされていません。

 

そんな彼らの理不尽のはけ口にされていた、あんずさんが不憫で不憫で。

(上司にパワハラ喰らってたときを思い出したとかは秘密。電話口で相手がブチギレルのって恐いよね。相手が見えなくて情報が限られて、想像力が掻き立てられるから)

 

彼女のそんな都合を卓巳君はどれだけ体を合わせても全く知らないわけです。

卓巳君視点で描かれるセックスシーンと、あんずさん視点で描かれるセックスシーンは全く違うもの。

あんずさんにとって卓巳君は耐え難い現実からの逃避。未熟な卓巳君には想像もつかない苦しみを抱えています。

卓巳君が最後にあんずさんのマンションに訪れた時、あんずさんの事情を理解しようと考えたのでしょうか。たぶん、アイツなら、何が大切かわかってるはずだと思う。

 

最後は卓巳君のお母さんの視点が描かれます。

この残酷で、理不尽な世界に扉を開けて入って来る赤ん坊を出迎える助産師さんの話。

こんな残酷で、理不尽な世界に赤ん坊を出迎えなけらばならない苦悩、福田君のエピソードがあるから余計に身に染みます。

 

こんな残酷で、理不尽な世界でも、生きていかなければならないもんね。

 

 

卓巳君があんずさんの家に扉を入り、始まったこの映画のラストに、卓巳君が赤ん坊を出迎える側に立ち、先輩として声をかける場面を持ってくる。上手い構成です。

この映画は、様々な主人公の視点から描く、群像劇という構成が巧みに機能している素晴らしいものでした。


そして何より僕にとって思い入れが深い映画です。僕のトラウマ、そして人格を構成した出来事が、この映画では、とてもドライで美しく再構成され描かれています。(勝手にそう思っているだけ)

 

たぶんこの映画を観るたびに「バカだったなぁ」と「大変だったなぁ」が同居した何とも言えない気分になるでしょう。

 

この映画は自分にとって特別な一本だと思うので今後も何度か見直したいと思います。