チキチキ!火種だらけの映画評

映画のネタバレ記事が多いと思います。私の映画の趣味をやさしい人は“濃い”といいます。

『96時間』のリーアム・ニーソンと、ライダーマンの“哀愁”の違いは「ポルノであるか、そうでないか」であるという指摘。

「96時間」観ました。『さらわれた娘をクソ強い親父が取り返す映画』でした。

 


映画「96時間」トレーラー


観ている最中にコマンドーを思い出しました。だから、「深く考えたら負けかな」と考え、考えるのをやめました。細かい指摘をしだすとキリがないというか、その雑さ(ノイズ)でさえ魅力に感じられるはずだと考えたからです。


この映画の雑さが魅力になる理由は、「物語の強い推進力」と「スピード感」だと思います。

『仮面ライダーSPRITS』でライダーマンが、オー バースペック改造を施させたライダーマンマシンで瀬戸大橋を渡った時の感覚が近しいです。

時速500キロを超えるまではライダーマシンが不安定でしたが、 それを越えた瞬間に安定するのです。「96時間」という映画は「物語の強い推進力」によって500キロ以上のスピード感を観客に体感させます。

それ以下の スピードなら気になる物語の雑さが、「96時間」「コマンドー」クラスの推進力になると全く気になりません。むしろそれが心地いい。

ライダーマンは500キロを超え、600キロも超えるのかと思ったとき、敵の妨害に遭いバイクが大破、その後、助けに来た仮面ライダーZX(ゼクロス)のバイクの後ろに乗り、そのバイクが600キロを越します。


ライダーマンが一生懸命頑張ったのに、最新のライダーであるZXは、いとも簡単にその600キロの壁を越えてしまいます。あの時のライダーマンの哀愁漂う表情が忘れられないのですが、まさに、リーアム・ニーソンはそんな顔をしています。

リーアム・ニーソン演じる主人公ブライアンは、妻に離婚され、最愛の娘も再婚相手と住んでいます。再婚相手は裕福な金持ちです。

ブライアンが最高 のセンスだと思って選んだ娘への誕生日のプレゼントが、一瞬で再婚相手の規格外のプレゼントによって、娘の心は一気にそちらに持っていかれた、あの時。あ の時の顔は、ZXに、いとも簡単にその600キロの壁を越えられたときのライダーマンの顔なのです。
ライダーマンは願ったはずです。ああ、活躍したい。V3だけじゃない。全てのライダー(平成ライダーも含む)を見返したい。その彼の願望がリーアム・ニーソンに憑依した映画、それが96時間なのです。

慎重なリーアム・ニーソンは、娘がパリに行くことに「ティーンエイジャーの女の子2人だけで、パリ旅行なんて危険だ」とはじめは反対しましたが、 離婚した妻の説得もあり、定時連絡を入れる事を条件に許します。

しかし、彼の忠告虚しく、娘は人身売買組織にさらわれてしまいます。何もできない妻とその 再婚相手、ライダーマン的に言えば1号、2号、V3やアマゾン、そしてZXがボロボロにやられ、V3がさらわれる展開です。

「96時間」で語られる物語 は、さらわれたV3を助けるために、他のライダー達が叶わなかった相手と、ライダーマンが奮闘するようなことなのです。

ライダーマンが活躍し、V3を助ける話を勝手に妄想すると、たぶん他のライダーにはない彼特有の“知力”“あくまで普通の人間であること”を活か すと思うんですね。

そして、その作品は彼の哀愁ある風貌とあいまって、深い作品と評価されると思います。

リーアム・ニーソンも、妻の再婚相手にはない力を 発揮します。

ただし、“純粋な武力”ですが。

 

ライダーマンと、リーアム・ニーソン(96時間)の明らかな違いはここなんです。

リーアム・ニーソンとライ ダーマンの哀愁があいまって、とても作品が深く見えるんですけども、96時間に存在するのは純粋な暴力だけなのです。

勘違いしないでほしいのは、僕が純粋な暴力で物事を解決する作品が悪いといっているわけじゃないのです。

あくまで、「純粋な暴力で全てを解決して しまう、この映画は純粋なポルノだ」と主張したいのです。それを踏まえたうえで、「ああ、ポルノさ、純粋に俺はポルノを楽しんでいるんだ!」と艶々した顔 で主張するのが、この映画に対する正しい姿勢だと思います。


AVを観て妄想を膨らませた童貞が、本番で失敗するように、この映画を観て、リーアム・ニーソンに憧れたオヤジが全てを暴力で解決しようとしないかを懸念しているのです。
ああ、杞憂ですか、そうですか。ライダーマンが知力と人間力を駆使しないとデストロンに瞬殺されますからね。本当に気をつけてください(失礼)。