チキチキ!火種だらけの映画評

映画のネタバレ記事が多いと思います。私の映画の趣味をやさしい人は“濃い”といいます。

映画『009RE:CYBORG』(サイボーグ009)は神山監督による神殺し(しかも遠慮気味)だ!

「神がもし世界を滅ぼすと決断したなら、人類はそれに従うべきか!」というのがテーマで、「009が『神の声』を聞いた人類の一人としてどう行動するか!」というところがこの映画の見せ所だと思います。キャー哲学的!



【本予告編】 映画『009 RE:CYBORG』(サイボーグ009)

 

この映画に対して多数のツッコミがあると思うのですが、私が一番ツッコミたいのは神がマッチポンプをしているという件です。


神は人類に戦争がなくならないから、人類を滅ぼすわけですよね。この作品では戦争を取り仕切っているのはアメリカであり、「アメリカが戦争を起こ し、軍需産業で儲けるっていうマッチポンプ構造」が世界を混沌に陥れているということになっているわけです(現実も大体そうだけど)。


でも、軍需産業の担い手が「神の声」を聞いて行動を行なっているわけじゃないですか!(*>ω<)ヤダー!


それは神様が自分で秩序を乱す原因を作って、人類は戦争ばかりしているから滅ぼそう!となるのは、マッチポンプ以外の何者でもないと思うんですが…どうなんですか?それでも私達は滅ぼされなきゃならんのですか!


原作の009で石ノ森章太郎が書ききれなかった「人類が悪だとしたら、009は人類を守るべきなのか?」という疑問に対して、答えた映画なのだとしたら、マッチポンプを絶対的な正義である神様がやっていたら、非常に問題だと思うんですね。


正直に言いますと、神山監督が今まで監督した作品にはあった現実に寄り添ったリアリティがこの作品には全く感じられなくて、面白くないんですね。「あー、勝手にやっててくださいよ」と言いたくないけど、言わざるえない。


神山監督の作品、攻殻機動隊で、「個別の11人」というエピソードがあります。急に「テロをしなきゃといけない」という思い込みに取り付かれ、別 に打ち合わせをしたわけでもないのに、テロを起こしたそれぞれの人間が同じ思想を持ち、「個別の11人」を名乗る話があるんですけど、その話にそっくりな うえに、こちらのほうが脚本として捻りがあるので一枚上手じゃないの?とまで思えるのです。(攻殻機動隊はお勧めなので是非みてね。)

 


この作品が何故こうなったのかと、落とし前をつけるために、一つの勝手な妄想をすることにしました。(血迷った決断)


監督の神山健治という男は、世界的に評価されている押井守監督の弟子なわけです。「押井さんの影武者になれればいい」というぐらい神山さんは押井監督に陶酔していたのです。まるで、神様のように。


しかも、押井監督に陶酔するように誰かに強要されたわけでもなく、自分から進んで陶酔したのです。さらに、神山健治という男の脳は、押井という神の脳であることを望み、今までの学んできたわけですから、押井監督=神山監督の脳と言えなくはない。


今回の作品は、押井監督が「失敗するからダメ」と手を引いた企画です。つまり、神山監督にとっての神、神山監督の脳が否定した企画なわけです。でも、彼はやり遂げることを心に決めました。自分の脳に、自分の神と戦う覚悟をしたのです。

 


というメタなものがこの作品に反映されていると考えれば、どうでしょうか。「押井という神に囚われたままでは、自分は潰れてしまう…」というのが、作品内の神のマッチポンプ構造に通じるのではないでしょうか。


「今までは押井の影武者でいいと思っていた。それで終わってもいいと思っていた。俺の脳はそれを臨んでいた。でも、違うんだ。乗り越えなければならない。神を。押井を。」という神山監督の心の叫びなのではないでしょうか。


そう考えると、少しだけ、面白いと思えるのではないでしょうか。「もっと上手く作品に消化しろよ」って言ったあなた!後で屋上に来てください。

握手をしましょう。