チキチキ!火種だらけの映画評

映画のネタバレ記事が多いと思います。私の映画の趣味をやさしい人は“濃い”といいます。

「グランド・ブタペスト・ホテル」は物語で感動させる気がないという件

グランド・ブタペスト・ホテルを鑑賞して参りました。

 


ウェス・アンダーソン監督作『グランド・ブダペスト・ホテル』予告編 - YouTube

 

ツヴァイクとかの話は下の二つが詳しいので一切言及していません。

 

町山智浩氏批評

http://miyearnzzlabo.com/archives/18434

 

宇多丸氏批評

https://www.youtube.com/watch?v=upRwtuPy39w

 

蓮實重彦氏がユリイカのでの対談でこの映画を「高速のドミノ倒しを見ているよう」と表現していましたが、その表現が一番しっくりきます。

確かにこの映画は一応サスペンスの体裁を取っているのですが、犯人は直ぐわかるし、謎解きも一切無いし、さらに言えば登場人物が葛藤したりしないし、言っちゃえば皆ほとんど無表情。

ただただ一本道に、行き当たりばったりに物語が進んでいくんですね。

 

登場人物の心理的葛藤、どんでん返しの結末、意外な犯人などなど

 

そんな脚本的な面白さではなく、映画的なカットの連なりで面白くしているのが、この映画の凄いところだと思います。

 

「このウェスアンダーソンて人、物語で僕たちを感動させる気がない!」

 

だから、たぶんこの映画は話の本筋やセリフ以外、カメラワークやシーンのつなぎ方、登場人物の動きで、シーンの特性や登場人物の感情を物語っているんじゃないかなと思います。

 

僕がこの映画を観て気づいた、上記のようなこの映画の特徴を語っていきたいと思います。

 

人物紹介の動画を貼っときますね。


『グランド・ブダペスト・ホテル』特別動画 "キャラクター紹介" - YouTube

 

■感情をカメラワークで語る例

 

若き日の作家とムスタファが風呂場で語るシーン。

あそこが面白いのは引きの絵と顔のアップの使い分けで、被写体の感情をあぶり出している点だと思います。

作家とムスタファの会話が確信に近づくにつれ、顔のアップの切り返しになるのですが、突然作家の引きの絵が挿入され、作家が「え!?」と思った事を表現されています。

 

■シーンのつなぎ方で物語をミスリード

若き日のゼロの恋人アガサが殺されたのではないかと一瞬ドキッとさせられるシーンがあります。

誰もがギョッとさせられるセルジュ・Xの姉の首を警部が籠から取り出すシーン。

思い出して頂きたいのですが、あの前のシーンはアガサが自分の部屋で何か外を気になり、最後は屋根から首だけを出すシーンです。

このようなシーンのつながりのせいで、一瞬「まさかアガサが…」と思わされたのですが、このようにシーンの順番で物語をミスリードすることで観客のハラハラドキドキを持続させることに成功しています。

 

 

■左から右の映画文法

この映画の面白いところは移動のカットが多く、多くの移動カットで登場人物やカメラが左から右に移動しているというところです。

英語文化圏など、横書き文化の国では、本を左から右に読み進めていくのになれているので、映画の場合でも左から右に進行する方が心地よく観れる、という映画文法が使われているのだと思います。

 

「左から右に移動している」ということを基本に考えて、この映画を視るとより深くこの映画を観る事ができます。

 

で、その基本を踏まえまして3回ほどこの映画を観たところ、映画の進行方向とは逆、右から左に移動するシーンが何カ所かあり、そのシーンが特別な意味をもっていることに気づきました。

 

これから「右から左に移動する」シーンを抜き出してみましょう。

 

■過去へ

この映画は現在のオールド・ルッツ墓地に少女が墓参りに来るところから始まります。

少女は左からフレームインし、墓地に入っていきます。

すると、彼女は、早速右から左へと移動し始めます。さっそく左から右に移動する法則が破られたのですが、少女の行き着く先はとある作家の墓です。少女が墓にたどり着くと少女が手に持っていた本の作者の時代へと時間が飛びます。我々は少女の意思を媒介に過去に飛んだのです。

 

進行方向は左から右という映画文法を逆手に使い「現代から過去へ」ということを表現しているのです。

 

■オフビートギャグ

 

「左から右」の映画文法を逆手に使うことで映画に緩急が生まれ、その緩急がギャグになります。

例えば、ゼロが刑務所にいるグスタフの面会に行くシーン。刑務所の大きな扉の前に立つゼロの意に反した場所で小さな扉が開くというギャグがありますが、このシーンも扉はフレームの左側にありカメラは左に動き、小さな扉を映す事で観る我々の意表をつくギャグになっています。

 

また、脱獄のシーンでも右から左に移動する場面があります。そのシーンは実は梯子を取りにいっただけで、彼らは梯子を手に入れると左から右に切り返すのです。これも妙に面白い。

 

まだあります。ゼロがグスタフにローソクを買ってくるように言われるシーン。グスタフはゼロが正式に採用された労働者ではないと気づき、ローソクを買いにいこうとするゼロを制止します。ここもオフビートな笑いを生んでいるシーンなのですが、その時もゼロは左方向に駆け出そうとしています。

左から右という映画文法を逆手に使い、オフビートギャグを生んでいるのです。

 

■死の香り

 

右から左に移動することで「死」を暗示させています。

この映画で語られる物語はムスタファ・ゼロの口から語られますが、彼は自分が語る物語の登場人物の行く末を知っている訳です。だから特定の登場人物(特定の場所)を語るときネガティブになっているのだと思います。

 

グスタフとゼロが列車に乗るシーンが何度か出てきますが、そのどのシーンも列車は右から左に移動しているのです。最終的にグスタフがどの場所でどうなるのかを考えれば、納得できる仕掛けだと思います。

 

また、コヴァックス弁護士は登場の時からほとんど右から左に移動します。左から右に移動したのは美術館のシーンとバスの移動で1・2カット存在するだけです。

美術館のシーンでは、右から左に移動する弁護士のカットの間に、殺人者ジョプリングが靴を脱ぎ左から右に移動するカットが挟まれることで、抗いきれない運命によって死へ追いつめられていることを案に示しています。

 

 

アガサにも右から左に移動するシーンがあります。グランド・ブタペスト・ホテルのロビーから2階に上がる階段はどの登場人物も右側の階段を上っているのですが、「リンゴを持つ少年」の絵を手にしたアガサがドミトリに追いかけられるクライマックスのシーンで、アガサは左側の階段を上るのです。そのことがアガサに命が危ないというサスペンスが強調しています。

 

 

■メリーゴーランドと恋は、時間を止める

メリーゴーランドのシーンです。メリーゴーランドは左まわりに移動し続けます。普通に考えれば、愛する人と過ごす時間は、体感的に通常の時間軸とは違うものを感じるということを表現したかったのだと思います。

(「メリーゴーランドや子供が乗る乗り物は「左回り」を採用している場合が多い。」というそもそもな事実を見つけてしまったんですけど。こっこれは、左回りにするためにメリーゴーランドを採用したのであって。いや、ぎゃ、逆にお化け屋敷やジェットコースターなど緊張を煽る乗り物は「右回り」が多いらしい。ということは実はこの左から右に移動する映画法則が映画以外にも言えるということであって、あ、じゃあこれはむしろこの映画が右から左に移動させることで、高速ドミノ倒しに緩急を与えているという話に説得力を持たせるだけなんじゃないか?)

 

 

以上、映画は話の本筋やセリフ以外、カメラワークやシーンのつなぎ方、登場人物の動きで、シーンの特性や登場人物の感情を物語っているウェスアンダーソンの恐ろしさがわかっていただけたでしょうか。

 

まあ、この映画はこんなことを意識しないでも「こんな映画観た事ねぇよ」という映画なので、誰でも楽しめると思うんですけどね。